~ 作詞のヒント ~
このページでは、管理人が今までの作詞経験を経て身につけた、
作詞のコツやヒントを幾つかご案内して行こうと存じます。
通信講座を受講して累計7年、作詞を始めてからは20数年・・・経ちますが、
当然、始めからまともな歌詞を書けていた訳ではありません。
それで、音楽学校に通っていた頃や、バンド活動をしていた頃に、
学校の先生に指導してもらった事や、バンドのメンバーから指摘された事なども含め、
通信講座の添削指導からも様々を習得して来ました。
それらの経験から、同人サイト等で投稿詞にアドバイスや意見を投稿させて頂いていますが、
なかなか歌詞の体を成せていなかったり、物語の内容が判り難かったり、
難しく考え過ぎじゃないか?と視える作品が多く散見出来ます。
そんな事から、お節介ながらで管理人の今までの経験から、コツやヒントをご案内しようと存じます。
構成を整える
歌詞として体を成せていないな・・・と思う事で、大きく2つ見受けられ、
その一つが構成が判らない事です。
大雑把にまとまっている様な、区切りが付いている様な作品は見受けますが、
行数や字数を見ると、「ここからここまでが○○か?」と判らない事が多々在ります。
よく、作詞の世界では「ツーハーフ」とかいう言葉もありますが、
例えばツーハーフならば、Aメロ、Bメロ、サビ、Aメロ、Bメロ、サビ、ギターソロなどの間奏があって、
更にその後に、Bメロがもう一つある場合とがあって、最後のサビがあって終わり・・・
という流れになっているものは、よく見掛ける構成かもしれません。
構成というのは、この造り/形態の事ですが、
作詞を始めてまだ間もない初心者の方には、この構成をしっかりとする事が難しいでしょうか、
言い方は悪くなりますが、きちんとしたこの様な形になっていないケースは多々見掛けます。
作詞をやり始めの最初のうちは、恐らくそこそこ難しいかもしれないですが、
子供の頃に、作文で、原稿用紙に2~3枚程度は文章を書くでしょう。
自分の言いたい事、家族との事や思い出を、多少の大きなくくりを付けて書いていた事と思います。
それと同じだとは言いませんが、描きたい事を4行程度で区切りを付ける様に書いていくのです。
書き始める時に、又、書いている最中にも、ブロック分けを意識しながら書くのです。
なぜ、書き始める時なのか?というと、最初に散文的にも一通り書いてしまうと、
後から体裁を直すのは大変です。
結構な手間ですし、思考力的にもエネルギーを伴います。だから、始めから構成を意識して書くのです。
それで書き上げた後に、多少の加筆や削りを伴う方が楽でしょう。
テーマ・物語の展開を創る
歌詞として体を成す為の大きな柱でもあり、もう一つのよく見かける事が、物語の内容・流れが判らない事です。
作詞をやり始めの頃は、作者の心の内では言いたい事が渦巻いていて、ありったけの思いを
吐露されていますが、
読み手/聞き手である第2者、第3者が見ると、「何を言ってるんだろう・・・」と思う場合が
しばしばあり、
内容、描かれている事があまり伝わって来ない、視えて来ない場合は珍しくありません。
作者、書き手の中では完結していて満足に浸っているであろう事が予想される事は多々ありますが、
「それでいいじゃん!」となると、では歌詞として世に出す必要と意義はなくなります。
自己満足していれば良いだけですし、読み手/聞き手の存在は要らなくなりますからね。
ちょっと難しいのかどうか・・・ですが、作詞のテーマ、話の内容が決まったら、
書きながらでも、自分の頭の中で、映像が動く、流れていく、展開される・・・という状態が
出来るか?は、
これは創作していく上で結構大事な事です。
おそらく、何作品か書いていくと、頭の中で映像が動く、光景が次の流れに移る・・・という事は、
多分、自然になっていく事だろうと思います。
と言いますか、そうならないと、書きながらも自身の歌詞の細かいチグハグなどに、なかなか気付けないと思います。
なので、頭の中で、内容が展開していくという事は、結構重要な事です。
よく、人の作品を読んでいて、内容を頭に浮かべながら読み進めますが、そうすると、
おかしい箇所が顕に視えてきます。
やっている頭の動きはそれと一緒です。
物語の作家さんや小説家さんの如くの頭脳を持てる様になりなさい!などという事ではありません。
これも、子供の頃にはそれと似た様な事を無意識のうちにやっていた事と思い返します。
お父さん、お母さん、ご兄弟と、夏休みに遊びに行った楽しい思い出を、
「・・・あの時、こうでこうなったから、それが楽しかったな~・・・」という風に思い出しながら書いたでしょう。
それも、テーマ展開の真似事の起源的なものかとも思います。
プロから言わせれば、「作詞はもっと崇高だ!」とお叱りを受けるかもしれませんが・・・。
字脚を揃える
字脚というのは字数の事ですが、歌詞においては「文字の数」ではなく「音・発音の数」です。
作曲する時、当然ですが、メロディーは文字ではなく「音」に乗っかって来るものですので、
それを想定して、書く時は字脚を揃えます。
そして、自分で作曲もする人ならば解っている事ですが、1音2音程度の字脚の差ならば、
メロディーを付ける際にある程度細工が出来てしまうので、字脚のわずかな差は補えてしまうのですが、
最初のうちは、出来る限り、カッチリと音の数を揃えて書くのが望ましいでしょう。
絶対にそうしろ!とは言いませんが。
欲が出てきて、「作曲もやってみたい!」となった時に、作曲に関しては素人レベルだったなら、
字脚の差に、多分苦しむ事となるでしょうから、まずは合わせて書く事を練習するのが
良さそうなのです。
ここに、取り急ぎで、超簡単な例を挙げます。
これは当方が特に何も考えずに、不意に書いた例えばのフレーズです。
Aメロで8×8の一区切り、Bメロで5×5の一区切り。
これが、8×9や8×10とか、5×7とか5×8とかだと、後で付曲する際に
地味にしんどくなる事と思われます。
自身で作曲はしない・・・という人ならば、作曲家に出来上がった歌詞を渡す際に、
相手の立場に立って観た時に、
字脚が合ってない事に、少なからず作曲家さんはしんどくなる事と見込まれます。
それを想定しないとなりません。
そして、歌詞を書く際には、話し言葉と歌詞は違うものですので、
語尾などの表現ですが、言葉尻、フレーズのお尻部分が、締められている様な語尾で
書く場合が多いです。
ある種の技法として、話し言葉的な表現でフレーズの所々を締める、というやり方もありますが、
慣れて来ると自在に活用できる様になると思いますが、作品の流れにフィットしていないと
おかしくなります。
歌詞によく用いられる言葉は、名詞(体言)、形容詞、副詞、比喩、擬人法・・・と、
細切れされた言葉達を組み合わせる事も多々ありますので、その様な言葉達の切り貼りも
大いに学ぶ事となります。
更には・・・。
プロの現場で作詞する際には、多くの場合が「曲先」でしょう。
先に作曲家が創ったメロディーラインが既に出来ていて、それに合わせて歌詞を乗っけるという
ケースが大半でしょう。
歌詞を先に書く方が、考えたテーマに合わせて好きな様に書けるので、そりゃ確かに楽ですよ。
しかし、現実はそう思い通りに行く事ばかりではないでしょう・・・。
なので、メロディー・音符の数を数えて、それに合わせて書く事が要求されます。
何となく、精神的に拘束されて書く・・・様な心境に駆られるのですが、
プロの世界はそれが現実でしょう。
そして、字脚の増減を出来る様になる事。
これは、曲先で書く時に限った話ではありません。
1作品書いてから、数ヶ月経って改めて見直してみて、部分的に「おかしい・・・」と思った時や、
講師から指摘された時や、メロディーを付けた際に、部分部分が良くない・・・と
判る時が間々あります。
その時は、言葉を削ったり足したりする訳です。が、そこで、少なからず執着心が生まれるのです。
誰しも、自分が頭を捻って生み出した言葉には、自分の子供かの様な愛着もありましょう・・・。
それを、削る/足す、継ぎ接ぎをする作業はある種、必須です。
増減だけでなく、違う言葉に差し替える事も躊躇いなく出来ないと歌詞が使われない事と想像します。
折角生み出した言葉の幾つかを、削る、抹殺する事に抵抗があるなら、
その言葉を用いてもう一つ、新たな作品を創ってしまえばいい事かもしれません・・・。
その様な、第2者/相手の立場にも立った言葉の増減も、ある意味、たやすく出来ないと
いけないでしょう。
想像力と創造力の問題に行き着く
作詞というのは、プロ志向ならずとも、アマチュアでも作詞をする人は多くいると思いますが、
ここでは主に、プロ志向の方々に向けた意見になるかと存じます。
音楽学校に通っていた当時、Vocal科の生徒で作詞の勉強をしている仲間が、先生に尋ねていた質問で、
人生経験や才能も大事だが、作詞は結局、最も重要な事は「想像力だ」と有名作詞家が言っていた、
と問うたのです。
そして、先生はそれに賛同していました。
作詞の題材を生み出すもの・・・。
何を書こうか?どんな事を書こうか?は、皆、書きたい事を書くでしょう。
他人から注文を受けたら、そのテーマに沿った事柄を書きますが、それ以外は恐らく好きな事を
書くのかと思います。
そこで、題材を思い浮かべるのにも、生み出す種になるのは「想像力」です。
よく、「才能でしょ?」とか「経験、体験でしょ?」とかいう意見もありそうですが、
結局、最後の根っこは想像力かなと、当方も思います。
「才能」というと、歌詞の内容を考え出す事、それこそ想像する事も、
全部が「才能だ」と言えるでしょう。
経験/体験というと、ドラマチックな人生を歩んで来た人や、平凡な人生を歩んで来た人などの
相違はありそうですが、
恋愛の経験が2~3つあるとして、スポーツなどで試練を味わった経験が1~2つあるとして、
それでも、大き目に覚えている出来事が3~4つとして、生み出そうとする作品の数は数十、
数百に及ぶ訳です。
それほどそんなに刺激的な出来事を、数十も数百も持ち合わせている人など、
恐らくそうなかなかは居ないはずです。
なので、1つ1つの出来事や経験から、断片を取って、それに想像力で肉付けをしたりして、
作品数として数倍にして生み出すのです。
そこで肝心になってくるのが想像力でしょう。
想像力の無い人など居ないんじゃないの?・・・と言われるでしょう。確かに当方もそう思います。
プロの作詞家の中でも有名作詞家さんの歌詞を見ると、「何でこんな言葉が出てくるんだろう!?」と
思う事は多々あります。
感性がすごい!という言い方もありますが、感性≒想像力?かと問われると、
全く同じかどうか?ですが、
第一線で活躍するには人並な程度の想像力ではそう簡単ではないのでしょう。
時に、知恵/アイディア/閃きと言い換える事もできそうですが、人生経験に基づくものも
あると思いますが、
日々、些細な細かい事で磨く事も大事かなと思います。
客観力を培う必然性
想像力と創造力に続いては、客観力を培う必然性に迫られる事になります。
これは、何作品か書ける様になって慣れてくると、絶対的に、目の前に立ちはだかる、
必ずぶち当たる課題です。
当方も、通信講座を受講し始めて1年足らずくらいの頃でしょうか・・・。
添削指導の先生の指導が介在してから気付き、鍛えられた事柄です。
一つの例えを挙げて、説明を切り出そうと思います。
以前、音楽学校の頃に先生に診てもらった事のある歌詞と同じ歌詞を、
作詞の通信講座の先生に診てもらうと、全然違う内容の返事が返って来ました。
それで、「えっ!?」と思ったのです。全然違うじゃないか!?・・・と。
それで混乱し、通信指導の先生に質問を送ってみたのです。そこで、
認識の転換が起きる事態が起こったのです。
面白い事が書かれてあったのです。
「 『 赤い 』 という言葉から連想する物を幾つか並べると、
薔薇、トマト、夕日、頬、血・・・と思い浮かべるでしょう。
しかし、それら全てが全く同じ赤い色だと思う人は、誰も居ないでしょう。
人の感性は十人十色です。
その様な不確かな言葉達を使って書かれた歌詞が、誰が診ても一つの同じ詞ではあり得ないのです。」
・・・その様な内容でした。
そこでです。
「客観力を培う」事と同時に「自意識と相手の解釈は別だ」という事をきちんと認識する事に
自然と仕向けられます。
作詞をする人が集う同人サイトなどに、「意見をお願いします。」等と投稿されている作品を視ると、
描かれている物語、内容があまり視えて来ない、伝わって来ない作品は多いです。
そして、それらに共通している事は、作者の中では成り立っている様ですが、
人が視たら解らないという事。
意見/感想を投稿すると、都度、箇所箇所を「○○こういう事なんですよ・・・」と説明して来ますが、
その説明という役目は、作品中の表現で成されているべき事であり、歌詞への後付けの
説明を必要無しに、
歌詞中で表現されていて人々に感動を与えられる事、それが大事なのです。
ましてや前述の通りで、人の感性は十人十色ですから、
読み手/聞き手がどう受け取るか?どう感じるか?も様々でしょうから、
より多くの人の心を貫く様な感動を与えるとなると、それなりの力量が求められるでしょう。
そこで、当然の如くに求められるのが「客観力」です。
作詞に限らずですが、普通に社会生活する上でも、
交友関係・人間関係では周囲の色々な人との絡みがありましょう。
作詞をする際にも、読み手/聞き手の視点に立った時に、言葉達がどの様に解釈されるか?を
思いながら書きます。
何作品も書いてくると、だんだん分かってくる事もあるのですが、しかし、
この「客観力」というのが結構、特に作詞においては、誰か技能者に師事して教わる方が、
恐らくその向上に飛躍性が期待できるだろう、という事なのです。
作詞における技術的要素については、誰か先生に教わって学ぶ方が、視えてくるものも技量の上昇も
期待できます。
対価を払って学習するのだから当然かもしれませんが。
その様な事で、客観力、相手視点に立って書く事、これは避けて通れない作詞の道程です。
起承転結について
起承転結について・・・。
これについては、まるで学校の国語の授業の時の様に、
しっかりと起承転結を付けなさい、というつもりはありません。
ストーリーの展開を考えるという事は大事なのですが、
起・承・転・結がしっかりと付いていない様に観えるものなど幾らでもありまして・・・。
出だしの切っ掛けが書かれてあって、話の起こり、始まりが綴られ、
出来事が二転三転し、話のまとめに締められていく・・・という形態が綺麗に付いている作品が、
読者/リスナーの身の周りの作品に、一体どれだけあるか?というと、疑問なのです。
例えば、5W1Hという言葉は聞いた事があるでしょう。
いつ、だれが、なぜ、どこで、なにを、どの様に・・・という事が、
全て理路整然ときちんと書かれている歌詞なんて、あまり見掛けた事はありません。
それに、読み手はそこまで気にしながら好きなアーティストの歌詞を読むでしょうか・・・。
更には、好きなアーティストの歌詞を幾つか見てみて、起・承・転・結のそれぞれが、
作品中に全て存在しているとは限らない作品なんて、珍しくはないでしょう。
例えば、起の部分が無いと思ったり、いきなり、転・結!から始まる様な、ある種の変則的な構成で、
詞中を探しても、承の部分が見当たらない歌詞など、様々あります。
そして、それでも何事もなく、普通に自然に成り立つのが歌詞なんです。
ですので、歌詞中に、起・承・転・結に当たる部分を探したり、
書く際に、意識しながら書くのは良いだろうと思いますが、
無理にしっかりと揃えて書く必要は無いだろう、という事なんです。
ネタ探し
歌詞を何作品か書き慣れてくると、いずれそのうちに行き当たる事が、作詞の材料探しでしょう。
机に向かって夜な夜な思いを巡らせても、似た様な事を思い浮かべたり、TVや映画や漫画の
ワンシーンだったりと、
割と早めに限界に行き着くのではないかなと思われます。
TV番組で、アーティストがインタビューに答えている場面で「よくドライブに行く」と
言っているのを見掛けます。
当てもなくふらりと気分転換がてらに高速道路に乗ったりして風景を見たりPAに駐車して創作にふける、とか。
しかし・・・
それもいいんですが、近隣にあるドライブする場所というと、ある程度いつも似ている
場所という事になるでしょうし、
見聞きする光景が似通っていると、様々に違うイマジネーションが湧くんですかね・・・。
又、語彙力を養うために、本をいっぱい読みなさい、という意見を聞きかじった事もあります。
それもそれで、当方は賛同しますが・・・。
なるべくお金をかけずに出来る簡単なネタ探しの方法は無いかなと。
又、一つ、意外なコツ?というほどのものでもないのですが、
当方が作詞の通信講座を受講したてのまだ間もない頃に、添削指導の講師からのちょっとした
アドバイスですが、
「~毎日、30分だけ作詞の事を考える時間を持つことをお薦めします。
実際に歌詞が書けなくても良いのです。TVや色々な情報を遮断して、
作詞の事だけを考える時間を30分持つことをしてみる事をオススメします~」
という事なのです。そして、その当時、実際やってみました。
劇的な変化はなく、その30分間の最中に歌詞を幾つか書けたとか、
歌詞の断片を思いついたという事では無いのですが、
その後の作詞に意外と地味に効果が何度か顕れた記憶を覚えています。
まだまだ作詞の初心者な方は、一度、そのルーチン、試してみるのも良いかもしれません。
◆駅の改札出口やロータリーでの人間観察です
比較的小さくない駅が近隣にあるのなら、その出入り口辺りのところとか、ロータリー辺りで
人間観察をするのです。
盗み見という事のほどもないでしょう。
ただ何となく眺めて行き交う人の表情とかチラチラ視てると、様々な感情が窺えてきたりするものです。
それに勝手な物語を肉付けするのがここでまた貴方の「想像力」です。
メモ帳一つとペン1本だけ携帯していれば出来るネタ探しです。
思いつく断片的なワンフレーズを、3つ、4つ、5つ・・・と貯めていって、
それらにフィクションを加えて創造する。
慣れてくると、結構思い白い作業だったりします。
◆公園、ショッピングモール、歩道橋、海辺、都会の喧騒地、森林・・・
そう考えると、割と人っ気のある場所なら凡そどこでも良いという事に気が付くでしょう。
人間模様が渦巻いていそうな所なら凡そどこでもネタはあります。
携帯端末を所持して行けば、10秒程度の動画を撮って後で思い返して考えつく
フレーズなどもありましょうから、
ツールが発達した現在は、小技も考え放題かもしれません。
◆少しお金はかかりますが、カフェでドリンク1杯で1~2時間粘る
夕方頃の、あまりお客さんで混んでないカフェで、他のお客さんの会話が零れて聞こえてくるのを
聞き取るんです。
「ただの盗み聞きじゃないか!」と言われそうですが、聞こえてきちゃうものはしょうがない
じゃないですか。
自分はただ座っているだけですから・・・。
恋人同士の別れ話の喧嘩に居合わせたりして・・・。
OLさん同士の世間話などから些細な材料も得られたりする場合もありましょう。
テラス席なんかは外を行き交う人達の様子もネタになったりしますから。
◆TV画面でネット視聴をする
最近のTVはインターネットに繋がる機能も今や当たり前に付いていたりしますが、
例えばYouTubeなどの動画視聴で、想像が膨らみそうな動画を視て、ネタを探すというやり方です。
YouTubeには無数の動画が在るので、
急に何か想像を掻き立てられそうな動画を見付けたい衝動には役立つでしょう。
一つ、当方が時々やっているのは、YouTubeに拘らなくてもいいですが、
宇宙/天体/星空をリアルタイム視聴が出来るページです。
映されるのは夜空な空間ですから、刻々と変わるでもなく、星空が淡々と映るのですが、
神秘的な画も想像には有用と言えそうです。
そして、以外に面白いのはライブカメラです。
ライブカメラという言葉はご存知の方も居るのではないでしょうか?
どこかのとある地域がインターネット回線に繋がってリアルタイムで映されています。
それが、日本国内のみならず、世界中の様々な地点とつながっています。
自分が視たいピンポイントな場所が視られるかは判りませんが、
既設で国内/海外の色々な場所につながっています。
それこそ本当に、海外の場所の映像ではこの世のものとは思えない様な綺麗な神秘的な場所もあります。
その様な映像を視て、イマジネーションを膨らませてネタを生み出す一助にするのです。
ちなみにオススメを幾つかご紹介しておきます。
他にも「ライブカメラ」で検索すれば、色々出てくると思います。
インターネットを活用するならPCで良いじゃないか?なぜ、TVで視るのか?と言いますと、
画面が出来るだけ大きい方が、より想像が膨らみ易い事と思うからです。
勿論、15インチ前後のノートPCの画面等ではダメという事ではないですよ。
しかし、大画面TVなどがご自宅にある方は、是非、大画面で試す方が良さそうです。
売れ線ケースを一考する
◆サビをド頭に持ってくる
このケースは、何も、最近になってよく見られるものではなく、以前から普通にありましたが、
盛り上がる要素であるサビを先頭に持ってくるというのは、
良い印象を与える、最初に弾みを付ける・・・等々、売れる要素となるケースといえます。
例えば、当方の好きなアーティストの楽曲で恐縮ですが、
安全地帯さんの「悲しみにさよなら」と、氷室京介さんの「Angel」です。
両方共、大ヒットしたSingle曲です。
「悲しみにさよなら」は、
『泣かないでひとりで ほほえんでみつめて あなたのそばにいるから』というのと、
出典/引用=http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36598
「Angel」は、
『ONE WAY SO FAR AWAY STAND BY ME ANGEL
RUN AWAY SO FAR AWAY STAND BY ME ANGEL』というのとで、
出典/引用=http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36475
でも、2行程度のあまり長くないフレーズで、メロディーラインも右上がりな感じの音階の創りで
最初に高揚させる印象でインパクトを与えます。
しかも、最初の出だしの音が、「ア行」の音を持って来ているというのも一つの策です。
コレ、作者の松井五郎さんと氷室京介さん自身が、そこまで考えて作詞したのかは存じませんが、
こういうケースを作詞家の秋元康さん曰く、
「~出だしにア行の発音を持ってくるというのは伝わり易い効果があり、
良い流れを作る為の一つのやり方です~」
という事を、もう随分前ですが、TVでコメントしていたのを覚えています。
という事で、サビをド頭に持ってくる、というのは一つの戦略です。
◆サビの急所の音階を跳ね上げる
この小見出しでは何の事か?分からないかと思いますが。
これは、作詞におけるテクニックというよりも、作曲における手法と言えそうですので、
第2者目線な話ですが、例えば・・・
J-POPバンドのZARDさんの有名なシングル曲「負けないで」という曲がありますが、
聴いた事があってよく覚えている人なら知っていると思いますが、
赤で囲った「な」の部分の音程が、その前の「は」の音程から、半オクターブくらい急に
上がっています。
又、J-Rockヴォーカリストの氷室京介さんの大ヒットシングルの「Kiss Me」という曲ですが、
これも知っている人なら冒頭のサビの部分ですが、
「そのく“ち”びる」の部分と「こどく“な”夜」の部分ですが、これも、
その前の音程から半オクターブくらいか、ポン!と上がっています。
これらの楽曲が世に出てくる前までは、そういう、
急に音程が上がる様なメロディーラインの曲って、あまり見掛けた事が無かった気がするので、
聴いていて、結構新鮮な気がしました。が、
これがまた結構な売れ線を行っているメロディーのアレンジかと思います。
サビでこういう箇所があると、結構高揚します。
だからとて、売れたい時の方程式かの様に捉えて、作曲をわざとこういう風に細工するのは
違うと思いますが、
これはこれで、売れ線に見られる一つのケースかと思います。
場面展開・アレもコレも詰め込まない
人の作詞を診ていて、色々とアドバイスしていてしばしば思うのは、
展開があちこちに転がっていて多くを盛り込み過ぎて、読み終えた時に、
「結局、どういう話の筋道を作りたかったのだろう?・・・」
と思う事が間々あります。
言いたい事、表現したい事が多くあるのでしょう。その気持ちは解ります。
しかし、歌詞というのは小説や文庫本と違って文章量がそこそこ決まってますからね。
例えばで、一般的なツーハーフという作りで言って、文章量にして原稿用紙2枚分程度かと思われます。
限られた文章量の中で、いかにして言いたい事を書いていくかになります。
ですので、それなりに許容量がある器の中で仕上げていくので、場面展開と言いますか、
画となるシチュエーションの数も、一つの作品中に盛り込める量は、せいぜい3~4個でしょう・・・。
歌詞というのは、画ばっかりが描かれていても、
「あぁいう事があった」「こういうシーンがあった」という事ばかりで、
書き手や登場人物の訴えている事が表現されていなければ、読み手/聞き手的に、
「だから何が言いたいの?」という感想が残って終わりになってしまう場合もあります。
場面をあまり詰め込むと、理解しようとついて行こうとはしますが、
頭の中が最後の方にはとっ散らかってしまう事もあり、
どんなストーリーの筋道を構成したかったのか?と思う事も間々あり、
それで終わり・・・になってしまう事もあります。
一個の作品として、「仕上げる」為に盛り込める場面の量という課題。
実際、詰め込みたくても詰め込めない、その理屈の方が、後々解ってくる実情でしょう。
無理に、盛り込もう、詰め込もうと思わない事。それも結構需要な技巧です。
話し言葉を比喩を用いて変換する
作詞において、歌詞と話し言葉は違う・・・という事を言いたく思います。
歌詞は、歌詞だからこその言葉遣い、言い回しであってこその歌詞だという事です。
人それぞれ歌詞を書く時は、言いたい事/表現したい事を書く訳ですが、
最初のうちは、話し言葉っぽくでもとにかく言葉を並べていくのでも良いでしょう。
そして、次に・・・です。
それを、歌詞らしく変えていくのですが・・・。
例えばです。作詞家の松井五郎さんの作品を例に挙げますが、
氷室京介さんの楽曲「STAY」という曲の歌詞の冒頭部です。
「ナイフの風が吹く 夜に燃えるMoonlight ~~」というところ、出だしです。
引用=http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57904
“ナイフの風”って何なの?・・・と、
作詞やり始めの人などは思う人も少なくないかもしれません。
これは、「身を切る様な冷たい風が吹く・・・」等と解釈出来るのですが、
実際の歌の中で「身を切る様な冷たい風が吹く~♪」とは歌えないでしょう。
強引に、そぅ歌いたいから歌う!という歌い手もいるかもしれませんが、
歌らしいスマートなカッコよさは乏しいです。
なので、身を切る様な冷たい風が吹いている状況を表すのに、
「ナイフの風が吹く~♪」と書く/歌うわけです。
又、これも松井五郎さんの作品、
安全地帯さんの楽曲「プルシアンブルーの肖像」という曲のこれまた冒頭部、
「激しい雨が降る 壊れた瞳に ~~」という出だしです。
引用=http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35864
目が壊れるって何だ?目に雨が降るのか?等と考える人も居るかもしれません。
これは、登場人物が大泣きしている様子だろうと解釈出来るものです。
何らかの感情極まって「壊れた」と表現している状態の目から、
号泣の様な泣き方をしている様子を表現するのに、
「激しい雨が降る 壊れた瞳に~♪」と書いたのだと想像できますが、
それをそのまま「感情極まって大泣きしている~♪」等とは書けないでしょう。
更にもう一つ言えば、字数を揃える必要もありますし。
歌詞らしく仕上げるというのはそういう事ですね。
勿論これは、当方が松井五郎さんに直接お会いして、
歌詞に隠された真実をインタビューした訳でも何でも無く、当方なりの解釈を書いたまでです。
なので、仮定ではありますが。
松井五郎さんの中では実際どういう意図だったか?は存じ上げません。
この様に、普段どおりの言葉遣いを、比喩などを用いて歌詞らしく仕上げていく、
これも技術向上としては必然に通っていく道程です。
時には改稿する事の重要性
当方は、作詞の通信講座を受講している訳ですが、
その講座には、講座内のコンテストの様なものがあり、
作品は随時募集していて、選出されると毎月の月末頃に送られてくる会報に載ります。
「自由作品」の部門等がありますが、選出審査する先生は、都度、同じ先生とは限らず、
選出ランクも、金、銀、銅、秀作、佳作・・・等あります。
当方は、その会報の「佳作」にはしばしば載っておりますが、幸いにして、というべきか、
偶には「秀作」に載る事があります。
何事でもそうなのでしょうが、ある一つの結果が出たら、都度自分の中で、
「なぜ?」そういう結果が現れたのか?という自己分析をしてみる、という、
どの分野においてもの事で、音楽クリエイターならではの事ではなかろうと思います。
で、作詞においては、一旦、書き下ろしてからしばらくの後に、見直してみて、
「改稿する」という事だと思います。それはしばしば大事になってくる事です。
最初から、「これで完成!」という状態の作品を書き切れちゃえばいいではないか?
とも思われるでしょうが・・・。
プロの現場の実際の状況だと、しばらく年月が経った後での改稿なんて、
出来ないケースが多くありましょうけど、
まだアマチュアならではのメリットか、強みか、という事でもあります。
後になって、「改稿しようかな・・・」と思う作品は、
一旦、書き終えた後に、何となくの「引っ掛かり」が気持ちの中に生じたりします。
特に、作詞し始めてまだ間もない頃ですと、作曲の状態の想像など、
メロディーを付ける事への想像もあまり伴わないで書いたりします。と、
字数やブロックの構成が、うまくないな・・・と気がつく事など多々あります。
そうすると、やはり「書き直す」という事に迫られるのです。
それから、多少なりともの月日が経っていると、書き手も人生経験が増える等で、
同じ事柄でも、視方や角度が変わったり、感性が成長したりしますので、
更に磨かれた文言が生み出せたりする訳で、作品のグレードアップにつながるのです。
そして、改稿した作品を、講座のその選出募集に出し直したりすると、
今度は載ったり、という事にもつながります。
まぁ、改稿する事に必要以上に縛られず、頭の整理が自然にそちらに向いていない時は、
無理に拘らずに別の作品に取り掛かる、目を向ける方が自然で良いかと思いますが。
そんなこんなで、時々は改稿する事は、良い事です。
又、こちらのページだけでは書き切れない、作詞に関する詳細な事柄について、
以下の画像リンクのBlogサイト「作詞のヒント.com」に色々と具体的に述べております。
関心のある方は御覧くださいませ。
ちなみに、こんなコツやヒントを説いている管理人が、coconalaというサイトにて、
作詞の添削やアドバイスをサービスとして出品しています。関心のある方は宜しければどうぞ、
ご参照下さいませ。